天候のせいだろうか。とくにモミジの色づきが変則的なような。
もうすでに枯れた葉が多くもう見ごろを過ぎたと思いきや、
未だ緑色を保った木も見られ個体によって色づきのペースの差が大きい。
だだ、通常は午後4時に閉園してしまうので、
次第に暗くなる村内を巡れる機会は少なく、
ライトアップの効果が変化していく様を見られるのは貴重だ。
はやくも睡蓮は冬支度。
睡蓮はほとんど葉を落としました。
そろそろ冬支度。
メダカ君たちはまだ食欲旺盛ですが、
やがて餌にも興味をなくす季節です。
14匹・17匹・21匹、それぞれの鉢の生存数。
どれだけが無事に冬を越せるでしょうか。
来春には早めに植え替えをして、
再び開花するようにしたいですねぇ〜。
メダカ君たちも来年は数を増やしてやらないと。
この調子だとあっという間に冬が過ぎて春。
可愛い稚魚と睡蓮の花の競演ができますように。
雨の城下町、飛騨古川。
冷たい雨、飛騨の朝は寒い。
古い友人が住んでいたこともあり、
ほんの少し名古屋寄りになる“高山”へは何度も訪れたことがあるが、
ここ“飛騨古川”の街を訪れたのははじめてだ。
観光の拠点『まつり会館』『飛騨の匠文化館』
そこから続く『瀬戸川と白壁土蔵街』。しっかりとした街づくり。
ランドマークともいえる巨大な銀杏の樹が目を引く。
この辺りは十数年前に整備されたという。
霜に覆われた、せせらぎ街道。
予定よりも少し早く出られたせいで、
せせらぎ街道に入った頃はまだ午前8時ちょっとすぎ、
特に冷え込んだ日曜日の朝、街道の両側は真っ白な霜で覆われていた。
本来の目的である紅葉よりも、そちらの美しさの方に目を奪われてしまった。
朝の光が届いた場所から順に儚く姿を消していく白いスクリーン。
慌てて車から降り写真を撮るも、変化が速く追いつけない。
視覚を失うほど広がる美しい海。
『ソフィ・カル ── 最後のとき/最初のとき』
「視野の果てまで(視覚を失うほど)広がる美しい海」
生まれつき盲目で、一度も海を見たことがない男性が
作者の質問「これまでに見た一番美しいものは何か」
に対して放った衝撃的な答えだったそうだ。
<盲目の人々><最後に見たもの><海を見る>
と、厳かで美しい墓標のような作品が続く。
今見ているものが最初の出会いであり、
かつそれが最後の機会である可能性もある。
また、一人の人間が一生のうちで
一度も見ないままで終わる対象はどれほどあるのか。
入口でいただけるこのガイドブックに
これほど重みを感じる展覧会は少ない。
大切なもの、大切な人をしっかりと見つめなおして
心に刻んでおきたくなるはず、きっと。
豊田市美術館にて12月6日まで、ぜひ。