第36回特別展「全国の郷土人形―祈り・願い・美しさのかたち」。
従来よりも規模が大きくなっているようだ。
郷土人形の持つ力を感じさせるものだった。
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豊田市美術館、『ゲルハルト・リヒター』で年パス復活。
ドイツらしく、清々しいほど全てがキッチリしている。
会場の美術館の持つ特性と見事に合致。
映像を見損なったので年パスを活かしてもう一度‥
何年振りかの『大名古屋らくご祭2022』。


落語はモダンジャズに似ている。
そこが大好きな理由でもある。
古典落語はスタンダード、新作落語はオリジナル、
シュールな落語は差し詰めフリージャズだろうか。
古典落語はジャズのスタンダード曲よろしく
演者によって全く違う解釈や表現になる。
師匠によってそのスタイルが決まってくる傾向もよく似ている。
アドリブが入り込むことなどは言わずもがな。
なので同じ噺や同じ曲を、同じ演者で何度聴いても楽しいのだ。
落語に至っては、観衆のほぼ全てが噺のスジからオチに至るまで
事前に把握しているにも関わらず、
木戸銭を払ってわざわざ聴きにくるのだ。
そして決まった箇所で笑う。思えば不思議な空間だ。
前座:桂仲びん 『饅頭こわい』
春風亭昇市 『真田小僧』
立川生志 『太鼓腹』
立川志の輔 『みどりの窓口』
柳亭市馬 『掛け取り万歳』
桂南光 『抜け雀』
前回は歌丸さん目当て、今回は立川流推し。
立川生志さんは時事ネタの“まくら”で懐の深さを見せ、
立川志の輔さんは新作落語『みどりの窓口』は今日一の大爆笑をとり、
失ってしまった歌丸さんや円楽さんへの思いもありながら、
なんだかんだで楽しいクリスマスだった。
旧知の街並みで鮮烈な生命感に出会った、瀬戸旧山繁商店。
高北幸矢さんのインスタレーション×旧山繁商店
『落花、瀬戸千年。』にお邪魔した。
国登録有形文化財である旧山繁商店の日本間に並べられた
夥しい数の瀬戸焼の陶器(倉庫に眠っていたものだとか)。
その高低差が造るグラデーションのスペースは
森なのか? 扇状地なのか? はたまた生物の体内なのか?
その隙間に床の間から溢れ染み入る木彫の椿は、
風? 水? または鮮やかな血液なのか?
いずれにしても伝わってくるのは圧倒的なその生命感。
随分前にこの会場界隈は何度も巡ったが、
この一連の建物群に訪れる機会はなかった(文化財登録前だったのか、
当時は情報がなかったと記憶する)。
以前訪れた時よりもアーケードのある商店街には新しいお店が増え、
賑わいを取り戻しつつあるようだ。
“藤井聡太5冠”効果も一役買っているか?
私の亡き母の実家は、この地が終着駅の名鉄瀬戸線沿線。
物心つく頃から慣れ親しんだ“瀬戸電”。
床が木製で、扉が手動(!)だった普通電車を知るギリギリの世代だ。
昔の瀬戸の街を知っている身からすると、
新しい施設や店舗が増えていくことが
嬉しくもあり寂しくもあるジレンマに陥る。
家原利明さんの作品展示『こわすのはかんたんだからね』へ。
会場で完成された作品が観られるのは、
額装された写真と制作風景の動画の中のみ。
実際に目の前にあるのは、それが“こわれた”ものだ。
かつて作品だったそれらは、
地元一宮で作られたハイブランドにも使用される
高級服地に描かれた作品の断片。
蛍光色の塗料を纏ったモノトーンの布は、
緻密な織と柔らかさからその上質さが窺える。
かつてこのノコギリ屋根の工場でも数多くの機織り機が、
夥しい量の繊維製品を世に生み出したことだろう。
ただ、この場所は壊れることなく新たな価値を与えられた。
『エキノコ玉ノ井』。
訪れた者は完成品を見ることができない展示を通して
“壊すこと”の容易さと“残すこと”の難しさ、
そして何より“残すこと”の重要さを実感させられることになる。
新調されたスケルトンの壁の前はローカル線の終着駅。
列車到着の数分後には始発駅に姿を変え
2両編成の赤い電車は反対方向へ滑り出す。
その当たり前のことが続いていることもまた
この展示のコンセプトに繋がっているのだ。