3.11の記憶

土曜日シネコンで映画を観たとき、
こちらの作品が静かなものだったこともあって、
隣のスクリーンの重低音が頻繁に身体に伝わった。
上映前の予告編や注意喚起の映像が流れている間、
やや気分が悪くなった。
作品を観ずに退席することも覚悟した。
意識下に今日という日があったからだと思う。
本編の上映がはじまり序々に落ち着いて、やがて作品に集中し、
足元に伝わる重低音のことは忘れた。

忘れたと思っていても身体が覚えている。
実際には経験してはいないのにだ。
これからは、忘れることと忘れないこととの
バランスを取りながら生きていこうと思う。

今日、メディアに頻繁に現れる人々と私の差は、
たまたまその時住んでいた場所が異なっていただけなのだ。
だだそれだけ。真反対の立場でも何ら不思議ではない
という事実をしっかりと受け止めながら…。